2008年10月10日金曜日

半農半Xとの出会い①

2003年7月29日(火)。
家のパソコンでインターネットと見ていた。
ふと、そういえば綾部はどうなってるのかなと
綾部というキーワードで検索してみた。

市役所のホームページのリンクに
「あやべ里山ねっと」というアイコンを見つけた
廃校になった小学校を
情報発信、人材交流の拠点にしようという目論見。
http://www.satoyama.gr.jp/mission.html

京大の農学部の教授が代表を務めている。
しっかりしたコンセプトワークがなされていて
よくできているという印象。

サイト内を引き込まれるように見た。
「へぇーすごやいやん、綾部!」
感心した。
ボタンラリースタッフ募集とある
早速メールで応募した。

次の日スタッフから返事メール。
それが塩見直紀さんだった。

メールには最近本を出したと書いてあった
題名は「半農半Xという生き方」

「へぇーこの人すごいんだ…。」
しかし、半農半Xって何だ?

6日後の8月4日ジュンク堂へ買いに行く。
あった、ホントだった!

その時私は51歳。
定年まで10年を切っていた。

漠然と老後を考え出していた。
同時にこれからの社会の行く末についても
思いを巡らしていた。

私は広告会社で働いていた。
ものが満ち溢れている社会で
従来のマス広告によるビジネスモデルには
陰りが見えていた。

これから日本をけん引する業界は何だろう?
家電、自動車、コンピュータ
すでに十分行き渡っているではないか?

その本には全く予想もしなかった道が示してあった。
農業だった。
農業は全く想定していなかった。

しかも半農。
そして半X?

小さな農的な生活と自分の天職。

これまでの道とは180度違う方向
真後ろに一本の道が見えた感じだった。

しかも、馴染みの深い綾部からの提言だった。
幸せを求めて各地に赴くが、見いだせず
結局帰ってきた我が家に幸せを見出す…。
青い鳥の話のようだと思った。

そうか、綾部かぁ…。
希望の光が差し込んだような気がした。
5年前の夏の話。

つづく

2008年10月9日木曜日

綾部

綾部は母の故郷。
小学校時代は夏休みになると東京から
古くは特急「つばめ」
その後は「こだま」に乗って
京都経由綾部まで。
さらにバスに乗って母の実家のある町まで
たっぷり一日かかった。

母の実家は茅葺屋根で
玄関から土間が台所まで続く
台所にはかまどがあり
その先には風呂の焚き込み口があった。

風呂はいわゆる五右衛門風呂
蓋を取ると円盤形の板が浮いている
これを足で踏みつけて風呂に入る。

帰省期間中
私の日課は風呂を沸かすことだった。
新聞紙を丸めて小枝に火をつけ
薪にその火が移るように置く

火吹き竹や団扇を使い
空気がうまく通るように薪を置き換えながら
風呂を沸かす。

おかげで中高時時代
キャンプでは常に火起こし担当であった。

裏には川が流れていて
いとこたちが手づかみで魚を捕るのを感心して見ていた。

川は子供たちの遊び場で
一日中泳いだり魚を追いかけたり

私は東京生まれの東京育ちで
泳ぎも不得意だった。

半農半Xに出会ったおかげで
3年前から塩見さんの田んぼで米作りをさせてもらっているが
あの頃の不完全燃焼を取り戻すために
2時間半かけて田んぼに通うのだ。


     

2008年10月7日火曜日

お米、受け取ったどー!


綾部・塩見さんの田んぼで収穫したお米を受け取りに行きました。

田中文樹さんの車に、大田さん、内田君とともに便乗させていただきました。

今年の1000本プロジェクト、これで完了です。

収穫高は玄米で田中さんが37kg、内田君がk34g。ともに1区画。
私は2区画で52kgでした。

正真正銘の無農薬・手作り米です。

炎天下、コナギ・マツバイという雑草と闘いました。
ホントに彼らは強かったです。

しかし、稲さんたちも頑張ってくれました。

ど素人の私たちにも、こんなに実をつけてくれました。
ありがとうございました。

田んぼで遭遇したすべての自然現象に感謝します。
お手伝いいただいた皆さん、ありがとうございました!

そして、こんなに素敵な企画を準備してくださった塩見さんとご家族に
心から御礼申し上げます。

来年もよろしくお願いします!

(「そばの花」が定休日だったので、上林のラーメン店「の」まで足を伸ばしました。「吉水」にも立ち寄り、宮チャンこと宮園さんも誘って、ラーメン、餃子、から揚げを平らげました。あ、それとライスも。どれもうまかった!写真は「の」の前です。)